ちょいブスのフィリピン女性に種付け成功はしたけれど
ミミはフィリピンから日本に働きに来ていた32才。ミミというのはもちろん仮名だ。知り合ったきっかけは海外のSNS。某県の農場で仕事をしている、普通のフィリピン女性。普通というのは、フィリピンバーなどで働く金のために性を売り物にする事もいとわないような女性ではない、という意味だ。
Line交換してネット恋愛からはじまり、数ヵ月後に私が某県まで会い行った。待ち合わせ場所は、東京から新幹線で一時間程の駅。そこはミミの地元の駅からローカル線で一時間ほどの場所でもあった。
出会って最初に感じたのは、意外にもミミは私より少しだけ背が高いという事。そして、ネットの画像で見るよりもやや老けて見え、ちょいブスという事だった。とはいえ、ネットで出会う場合、こんな事はよくある事だ。それに、そういう目的で会った以上、どんなに醜い体型でも、どんなに醜い顔でも、どんなに年上でも、ニューハーフでも抱けるくらい女に見境のない私にとってはどうでもいい筝だった。
いくつかのエントリーに書いたように、私は何人かのフィリピン女性と関係を持った事がある。その経験から言うと、真剣な交際を持ち出すと、フィリピンの女性は普通の女性でも簡単に股を開くようだ。もちろん、たまたまそういう女性にばかり当たったという可能性はある。また、多くのフィリピン女性は業種問わず、日本に来たら、日本人男性と知り合ってそのまま結婚し、永住したいという女性が多いのかも知れない。
ミミの場合もその例に漏れず、既にネット恋愛に発展していたので、ファーストデートでそのままラブホテルに直行するという事で話はついていた。
駅近くにラブホテルがある事は調べてあった。ファーストセックスの記念という意味もあって、空いてる部屋の中で一番高い部屋を選んだ。
さすがに部屋に入っていきなり、などという無粋な事はせずに、二人で並んで座ってテレビなど見ながら話をして、どちらからともなくキスし、やがてお互いの体をまさぐり始めた。
ミミをシャワーに誘い、二人とも生まれたままの姿になる。浅黒い肌のミミの体はややポッチャリしていたが、胸はさほど大きくはなかった。Bカップといったところか。二つの山の頂上には、こげ茶色の可愛らしい乳首。
シャワーを済ませてベッドに横たわりミミを誘うと、ミミは情欲に突き動かされてか、いきなり私の体の上にのしかかり、激しくキスを求めてきた。ミミのキスは強烈と言っていいほど積極的だった。私の舌を自分の口の中に招き入れると、痛いくらいにどころではなく、本当に痛みを感じる強さで激しく吸うのだ。だが私はミミの昂ぶった気持ちに水を差さないようにひたすら耐えた。
何分舌を絡めていただろうか、舌がようやく解放されたと思ったら、ミミは瞳をぎらつかせながら私の股間で屹立する一物に目をやった。ミミはそれをむんずとつかむと、強く握ったまま上下に激しくこすり始めた。これもまた痛みを感じるくらいに強いハンドジョブだ。だがそれでも萎えるには至らなかった。
ミミはひとしきりしごき終えると、今度は一物をパクリと咥え、音を立ててしゃぶりながら、これまたキスと同じように激しく吸い始めた。
私は多くの女と体と重ね来たが、ミミほど強烈な女性は他にはいなかった。ミミは元々性には人一倍積極的だったのか。それとも、フィリピンにいた頃に付き合っていた前の彼氏がアメリカ人だったそうだが、その彼から教え込まれたのか。確かにミミがモノをしごく様は、白人のポルノ女優がビデオで見せるしごき方そのものだった。相当の人数を経験した男か、若い頃から寸止めしながら射精を我慢する術を身に着けた男でもないと、あっさりイカされるかもしれない。
やがて一物しゃぶりにも満たされたのか、ミミは私の上にまたがり、日本の淫棒を南国の情熱的で淫らな蜜壺に導きいれた。胸を揉みしだこうと手を出す暇も与えず、ミミは私に覆いかぶさると、再び激しく私の舌を求めてきた。今度は南国娘の積極的で激しい腰づかいもセットだ。
さすがに私もそのままでは暴発してしまうかと思えるくらい積極的な腰の動きだったが、幸いな事に、と言ってよいのだろうか、強く吸われる舌の痛みに気をとられて暴発はせずに済んだ。
それからミミは肉棒しゃぶりと激しい騎乗位の合体を何度となく繰り返した。それが1時間以上は続いただろうか。
「ミミ、イった?」
正直、ミミはイったそぶりも見せなかったし、それらしい声を出したわけでもない。だがミミは「何回もイったよ」と答えたのだ。
何人もの女を抱いていればわかるが、ミミのようにイった気配も感じさせずにイク女もいる。
後から考えてみたら、騎乗位で激しく動いていた腰がしばらくの間止まり、その後でフェラに移っていた。まさにこの時にイっていたのだろう。後日聞いてみたら、まさにその通りだった。
「ケンコーの番だよ」
ミミに促され、今度は正常位でミミを貫いた。ミミは首に腕を巻き付け腰に足を巻き付けて、当然激しいキスに、下から腰を突き上げてきた。その下からの責めで、舌の痛みに気をとられていたとはいえ、1時間以上も激しい動きに耐えてきた日本男児の胤棒は、不覚にも南国娘の卵床の中に胤を暴発させてしまったのだ。
その日は大丈夫な日と言われていたので、中出しする事には問題なかった。体を離すと、ミミはあおむけのまま両足を高く上げた。何をしているのか聞いたら、
「ケンコーの精子をこぼしたくないの、今子供ができたらまずいけど、もしできたらそれでも嬉しいから」
その股間の谷間には、先ほど放ったばかりの精が淡く白く光っていた。私はいじらしさのあまり、ミミにキスをした。
ミミは私の子供を欲しがっていた。子供ができたらフィリピンに戻り、産み育てるというのだ。ただ最初に会った時はまだ農場での契約が半年ほど残っていて、その時に妊娠するのは本当はまずかった。その日は生理直後で、まあ安全とは言えないが大丈夫だろうという事で中出しすることにしていた。二人の計画では、契約が切れる二ヶ月か三ヵ月前に、本格的に排卵日を狙って子作りをする予定だった。
でも本当のところ、真の安全日なんてものは無いのだ。
案の定、翌月になってミミから生理が来ないというメッセージが来た。遅れているだけかも知れないから、一週間様子を見ることになったが、それでも来なかった。
ひとひらも惜しみ異国女脚高し淡雪かげり胤芽吹く渓
(ひとひらもおしみいこくめあしたかしあわゆきかげりたねめぶくたに)
これから農場(といっても農業系の工場で、会社だ)のお偉いさんに報告したり色々と大変そうなのに、ミミは嬉しそうだった。
「ケンコー、前から決めてあった通り、私は一度フィリピンに戻る。フィリピンで子供産めばお母さんがいるから子育て手伝ってくれる。だからその間、病院のお金とか子育てのお金、フィリピンに送って。それから、フィリピンに迎えに来て。そうしたら結婚して日本で子供と一緒に暮らしましょう。
今日からケンコーはダディね。私の事はマミーと呼んで。」
正直な話それを聞いて《え、送金? 結婚?!》と思い驚いた。契約が終わる頃に子作りして、その後マミーはフィリピンで子供を産むという話はしていた。だがそれは、子供はマミーがシングルマザーとしてフィリピンで頑張って育てていくという意味だと、なんとなく考えていたのだ。
でも冷静に考えてみれば、それは私が勝手に思い込んでいただけで、マミーがどう考えていたか確認した訳ではなかった。子供産んで一人で育ててくれるなら、心置きなく胤付けできるからラッキーと思って、それ以上確認しなかった私も悪い。大体、日本に出稼ぎに来るということは経済的にも苦しいという事だ。そんな女性が、子供だけ作って後は一人で、などという事をできるはずがない。
その瞬間、私はマミーと結婚して女の色道の旅を終える覚悟をした。
その日の交わりは、相手は将来の嫁で、その腹には自分の子供が宿っているのだと思うと激しく昂奮し、中出し二回戦を決めた。
マミーがその農場で働くために来日したのは今回で二回目。社長さんをはじめとする、日本人スタッフの信頼も厚く、今回の契約が終わってからまたしばらくしたら来日をお願いしようと思われていたらしい。
それだけに、ミミが妊娠して契約途中で帰国する事を、怒るよりも残念がっていたそうだ。
そんなに残念で信頼していたるなら残してあげればいいのに、とも考えてしまうが、マミーは来日二回目で仕事も良くできる先輩社員なのだ。特別扱いをしたら他のフィリピン人後輩社員に示しがつかない、というところだろう。
翌月、マミーはフィリピンに帰っていった。
それから3ヵ月、マミーには病院の診察費だの、生活費だのをいくばくか仕送りした。
平日は仕事があるので日に1、2回メッセージのやり取りをする程度だったが、週末はマミーとほぼ一日つながりっぱなしでチャットという日々が続いた。
3ヵ月目が過ぎた頃、突然マミーから返信がこなくなった。また、その週末のチャットにも来なかった。そんな状態が二週間ほど続いてから、マミーからようやくメッセージが届いた。それは「ごめんなさい、ダディー」から始まる、悲しいメッセージだった。
突然異常な出血があったので、医者に行ったら流産だったというのだ。早く私に知らせなくてはと思ったものの、ショックでしばらくそれもできなかったらしい。
私は、せっかく授かった命が生まれて来なかった事の悲しさもあったが、正直なところ、内心ホッとしたのも事実だ。
マミーとの将来を覚悟したとは言え、それは子供ができてしまったからのこと。もちろん良き夫で、良き父であろう、女遊びはもうやめて、マミーを生涯愛し続けようという決意はした。だがそれは子供ができたから結婚を決意するしかなかっただけの事だ。やむにやまれぬ事情から愛していると思い込もうとしているに過ぎない。もちろん、いつかそこから本当の愛情を抱く可能性もあるだろうが、あくまでも可能性、確定ではない。
果たしてそんな結婚生活が上手くいくものだろうか。それに、もっと大きな理由は、やはりまだ女遊びは続けたかったからだ。
流産でミミが心に傷を負っている時に今すぐというわけにはいかないが、いずれなんらかの形でミミと別れようと思った。
結局、その後半年くらいミミとは連絡を取り合っていたが、週末のチャットの時間を忙しいからと言って次第に短くし、毎日のメッセージも少しずつ返信の間隔を伸ばして、関係をフェードアウトさせた。
ミミもそれは感じていたようだ。最後には私がミミのメッセージに返事もせず、週末もチャットもしないようにしただけだったが、特にどうしたのか問い詰めるようなメッセージが来る事も無く、サヨナラも言わずに二人の関係は終わった。
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