新宿テレクラ。往年のトルコ嬢?
今では『トルコ風呂』とか『トルコ嬢』という言葉は死語となっており、使われる事が無くなって久しい事は百も承知だ。
その言葉を敢えて使ったのには理由がある。
新宿のテレクラに入りスタンバイする。早取制のその店では電話機のランプが光る一瞬のタイミングに反応できるかどうかが勝負だ。
何度か失敗を繰り返したが、それほど時間を経ずして繋がった電話は即アポパターン。事情があるその女性は三十代と自称していた。ただ、声の感じからもう少し上だと感じた。
待ち合わせ場所はテレクラからそれほど離れていない歌舞伎町のハイジアというビルの一階と決まった。
待ち合わせ場所となったハイジアの一階はだだっぴろいホールになっている。そこに据え付けられているベンチに座っていたのが電話をかけてきた女性、トミコだった。
痩せ型の体を、色使いは少し派手目ながらも年寄り臭い衣服につつみ、背中まで伸びたすこしパサついた髪を後ろで束ねているトミコはどう見ても六十代、かなり甘く見ても五十代後半にしか見えなかった。
顔も老けた感じは否めなかったが、見られない顔ではない。
こんな女性相手に勃つかどうか不安だったが、せっかく電話がつながったのだし、トミコも会える事を期待をしているのだ。逃げ出す事もできたがそうはせず、トミコの前に立ち「トミコさんですか?さっきテレクラで約束した憲好です」と声をかけた。
ホテルに入るとトミコは一緒にシャワーを浴びましょうと誘ってきた。事情で会う人にしては珍しい。
もっともその方が金を抜き取らるなどの被害の心配が少ない。
トミコは妙に手慣れた手つきで私の体を洗った。この時、私はトミコがただの素人オバサンでは無いと直感した。
ベッドに仰向けに横たわる。その上をまたがる様な形でトミコが膝立ちになった。その体は痩せて、大して大きくはない乳房も肌も萎びていた。それでもトミコの手が肉棒をさすり、舌が私の乳首を弄びはじめると、欲情が涌き起こり分身はたちまち硬くなった。
その後だった。トミコはまるでソープ嬢がマットプレイで繰り広げる様な技を次々と出してきたのだ。
もちろんここはマットの上ではないし、ローションもないから出来る技には制約がある。それでも確か五、六種類はあったと思う。
しかも、技を披露するたびにトミコは技の名を口にした。更にはなぜそのような名前なのか解説まで付けていた。
一つだけ「玉を吸うから『玉吸い』」だけを今でも覚えている。
そこで私はほぼ確信したのだ。トミコは往年のトルコ嬢だったのではないかと。
この話は90年代後半の頃だ。トミコが仮に60歳だったとしたら、現役だったのは30年程前、つまり60年代くらいから70年代にかけてだろう。
その頃はまだソープランドという言葉はなく、トルコ風呂と呼ばれていたはずだ。トルコ風呂と呼ばれる前だったのかも知れないが、そこまで詳しくは判らない。
私が敢えて『トルコ嬢』と言ったのはそういう理由だ。
最後にトミコは「ローションが無いから唾で」といって肉棒をたっぷり唾液で濡らし、さらに「ピルを飲んでいるから避妊しなくても大丈夫」と生のまま騎乗位でつながった。
ピルを飲んでいるからではなく、とっくの昔に閉経しているから、が正しいのだろう。
やがて快感と共にトミコの中に種を放出した。可愛そうな事に、大量の精子たちはせっかくトミコの子宮にたどり着いても、そこは卵子などとうにいなくなった荒れ野。虚しく死出の旅につかされたのだ。
さすがに、射精した直後はこんな超熟女としてしまった事に嫌悪感が湧いた。トミコと一緒にいるだけでも苦痛で、すぐにもホテルを出て別れたかった。
だがトミコは「二回目もあるから」というので、その気持ちに耐えていた。
このような感じは射精直後、しばらくの間だけだ。
やがて再びトミコの枯れた肉壷を求めて淫欲が涌き、肉棒は再び力を取り戻し始める。
トミコの中に二回目の射精を決めると、最初よりも嫌悪感は薄れた。むしろ好きな女やなじみの風俗嬢と一戦済ませた直後の、気だるい満足感とゆったりした感じの方が大きい。
それどころか、またお相手してもらうのも良いとその時は思ったくらいだ。
色欲やいかにも強し遊び女の
老ゆれし秘壷胤沃らるかな
結局トミコとは連絡先を交換せずに別れた。
何年か後、二回ほど新宿でトミコを見かけた事がある。
声はかけなかった。更に顔が老けて、髪にも白いものも混じっており、さすがにちょっと、と思ったのだ。それにトミコが私の事を覚えている事はまずなかっただろうから。
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その言葉を敢えて使ったのには理由がある。
新宿のテレクラに入りスタンバイする。早取制のその店では電話機のランプが光る一瞬のタイミングに反応できるかどうかが勝負だ。
何度か失敗を繰り返したが、それほど時間を経ずして繋がった電話は即アポパターン。事情があるその女性は三十代と自称していた。ただ、声の感じからもう少し上だと感じた。
待ち合わせ場所はテレクラからそれほど離れていない歌舞伎町のハイジアというビルの一階と決まった。
待ち合わせ場所となったハイジアの一階はだだっぴろいホールになっている。そこに据え付けられているベンチに座っていたのが電話をかけてきた女性、トミコだった。
痩せ型の体を、色使いは少し派手目ながらも年寄り臭い衣服につつみ、背中まで伸びたすこしパサついた髪を後ろで束ねているトミコはどう見ても六十代、かなり甘く見ても五十代後半にしか見えなかった。
顔も老けた感じは否めなかったが、見られない顔ではない。
こんな女性相手に勃つかどうか不安だったが、せっかく電話がつながったのだし、トミコも会える事を期待をしているのだ。逃げ出す事もできたがそうはせず、トミコの前に立ち「トミコさんですか?さっきテレクラで約束した憲好です」と声をかけた。
ホテルに入るとトミコは一緒にシャワーを浴びましょうと誘ってきた。事情で会う人にしては珍しい。
もっともその方が金を抜き取らるなどの被害の心配が少ない。
トミコは妙に手慣れた手つきで私の体を洗った。この時、私はトミコがただの素人オバサンでは無いと直感した。
ベッドに仰向けに横たわる。その上をまたがる様な形でトミコが膝立ちになった。その体は痩せて、大して大きくはない乳房も肌も萎びていた。それでもトミコの手が肉棒をさすり、舌が私の乳首を弄びはじめると、欲情が涌き起こり分身はたちまち硬くなった。
その後だった。トミコはまるでソープ嬢がマットプレイで繰り広げる様な技を次々と出してきたのだ。
もちろんここはマットの上ではないし、ローションもないから出来る技には制約がある。それでも確か五、六種類はあったと思う。
しかも、技を披露するたびにトミコは技の名を口にした。更にはなぜそのような名前なのか解説まで付けていた。
一つだけ「玉を吸うから『玉吸い』」だけを今でも覚えている。
そこで私はほぼ確信したのだ。トミコは往年のトルコ嬢だったのではないかと。
この話は90年代後半の頃だ。トミコが仮に60歳だったとしたら、現役だったのは30年程前、つまり60年代くらいから70年代にかけてだろう。
その頃はまだソープランドという言葉はなく、トルコ風呂と呼ばれていたはずだ。トルコ風呂と呼ばれる前だったのかも知れないが、そこまで詳しくは判らない。
私が敢えて『トルコ嬢』と言ったのはそういう理由だ。
最後にトミコは「ローションが無いから唾で」といって肉棒をたっぷり唾液で濡らし、さらに「ピルを飲んでいるから避妊しなくても大丈夫」と生のまま騎乗位でつながった。
ピルを飲んでいるからではなく、とっくの昔に閉経しているから、が正しいのだろう。
やがて快感と共にトミコの中に種を放出した。可愛そうな事に、大量の精子たちはせっかくトミコの子宮にたどり着いても、そこは卵子などとうにいなくなった荒れ野。虚しく死出の旅につかされたのだ。
さすがに、射精した直後はこんな超熟女としてしまった事に嫌悪感が湧いた。トミコと一緒にいるだけでも苦痛で、すぐにもホテルを出て別れたかった。
だがトミコは「二回目もあるから」というので、その気持ちに耐えていた。
このような感じは射精直後、しばらくの間だけだ。
やがて再びトミコの枯れた肉壷を求めて淫欲が涌き、肉棒は再び力を取り戻し始める。
トミコの中に二回目の射精を決めると、最初よりも嫌悪感は薄れた。むしろ好きな女やなじみの風俗嬢と一戦済ませた直後の、気だるい満足感とゆったりした感じの方が大きい。
それどころか、またお相手してもらうのも良いとその時は思ったくらいだ。
色欲やいかにも強し遊び女の
老ゆれし秘壷胤沃らるかな
結局トミコとは連絡先を交換せずに別れた。
何年か後、二回ほど新宿でトミコを見かけた事がある。
声はかけなかった。更に顔が老けて、髪にも白いものも混じっており、さすがにちょっと、と思ったのだ。それにトミコが私の事を覚えている事はまずなかっただろうから。
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