歌舞伎町たちんぼ パンスケの忠告
歌舞伎町ハイジア周辺は立ちんぼの出没地帯として有名だが、以前からハイジア裏手にある公園周辺には立ちんぼがひっそりと出没していた。とはいえ年齢層は大分高めで、日本人のおばちゃん立ちんぼではある。おそらく都立大久保病院が高層ビル化され、ハイジアのビルが出来る前からそんな状況だったのだろう。
さて、時はハイジアビルが建ったか、まだ工事中だった頃の話。ハイジア裏手に立ちんぼらしき女性の姿をたまに見かけていた私は、ものは試しに買ってみようと思い立ち、ある夜の仕事帰りに件のハイジア裏手の公園を訪れた。ゆっくりと公園の周辺をぶらついてみたが、それらしき人影は見当たらなかった。しばらく近くのバッティングセンターに併設されているゲームセンターで時間を潰して再度トライ。すると、公園の北側の道で中年男性と小太りの女性が話をしているところが見えた。直感的に、この小太りの女性は立ちんぼだと感じた。
公園の周りをゆっくりと歩いて先ほどの道に戻る。中年男性はいづこかへと立ち去り、女性だけが残されていた。女性はゆっくりとした足取りでこちらへ歩いてくる。私もたまたま通りかかった風を装い女性に近づいた。女性との距離が数メートルまで縮まったとき、女性が口を開いた。
「お兄さん、遊びどうですか?」
そのつもりで歩いていたのだから否やは無かった。
女性は、150cmくらいで、近くでよく見ると小太りというよりはやや太目だった。髪はショートで首筋くらいまで。眼鏡をかけた顔は、よほど飢えているか酒が入っていなければ、金を払ってまで抱きたいと思う男はいないだろうという顔だちだ。立ちんぼのくせにそういった雰囲気はなく、近所のおばさんといった雰囲気だった。私のように風俗関係の女を見つける勘だけはするどい人間でなければ、声をかけられなければ立ちんぼだと思う人は少ないだろう。年齢はよく分からなかった。おそらく50代か、ひょっとすると還暦を過ぎているかも、に見えた。
立ちんぼおばさんに案内され、職安通りのとあるレンタルルームに入った。一番近くでハイジアの脇、通り二本先にはラブホテル通りがあるが、おばさん曰くラブホテルよりもレンタルルームの方が安いから、ということだった。
部屋に入ると尿意を催したので、鞄をおいて部屋の外の共同トイレに行こうとドアを開けた時、おばさんに呼び止められた。
「鞄持って!」
どういう事かとおもって聞いてみると、「パンスケと遊ぶ時には荷物を手元から絶対離してはダメ。何かを盗まれるかも知れないから。」という事だった。そういう忠告をしてくれる人なら荷物を置いて行っても大丈夫じゃないか、と思ったが、素直に従う事にして鞄を持って部屋を出た。今ならそういった忠告をしてくれる人だからといって決して信頼して良い訳ではない事は分かっているが、当時はまだ若く、考えも甘いところがあった。
プレイ自体は淡々と進んだ。おばさんの生フェラに始まり、ゴムを被せて挿入。しばらく腰を動かして発射。
プレイ後におばさんが言った。
「お兄ちゃんカッコいいから、もうこんなパンスケなんかと遊んじゃだめだよ。遊ぶなら金なんか払わないで、逆に金を取って遊ぶんだよ。」
いやいや、いくら営業トークにしてもそれは言い過ぎ。まだ若い頃だったけど全然カッコよくないですから。それよりも気になったのはおばさんが何度か言った「パンスケ」という言葉である。若い頃ではあったがその手の言葉には詳しかった私には、それが「売春婦」を示す言葉であり、しかもかなり古い言葉であると知っていたからだ。
「パンスケ」というのは「パンパンガール」の事で、終戦後の進駐軍相手の売春婦を指す言葉だ。もしかしたらこのおばさんは往年のパンパンガールだったのだろうか。そうだとしたら、この頃は1990年代の半ばで、終戦後50年くらい。戦後おばさんが20代くらいだったとしたらおばさんの年齢は70歳を超えている事になる。還暦は超えているかも知れない、くらいには見えたが70代には見えなかった。とはいえ、女性の年齢は、昨今の美魔女を見ても分かるように外見だけで判断する事は難しいのも事実。まあパンパンガールではなかったにせよ、当時の50代、60代の人ならパンスケという言葉を知っていてもおかしくはない。
往年のパンパンガールのアドヴァイス
荷物離すな金は取るべし
さて、それからかなりの時が経ちおばさんの忠告を忘れた私は痛い目を見る事になる。
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さて、時はハイジアビルが建ったか、まだ工事中だった頃の話。ハイジア裏手に立ちんぼらしき女性の姿をたまに見かけていた私は、ものは試しに買ってみようと思い立ち、ある夜の仕事帰りに件のハイジア裏手の公園を訪れた。ゆっくりと公園の周辺をぶらついてみたが、それらしき人影は見当たらなかった。しばらく近くのバッティングセンターに併設されているゲームセンターで時間を潰して再度トライ。すると、公園の北側の道で中年男性と小太りの女性が話をしているところが見えた。直感的に、この小太りの女性は立ちんぼだと感じた。
公園の周りをゆっくりと歩いて先ほどの道に戻る。中年男性はいづこかへと立ち去り、女性だけが残されていた。女性はゆっくりとした足取りでこちらへ歩いてくる。私もたまたま通りかかった風を装い女性に近づいた。女性との距離が数メートルまで縮まったとき、女性が口を開いた。
「お兄さん、遊びどうですか?」
そのつもりで歩いていたのだから否やは無かった。
女性は、150cmくらいで、近くでよく見ると小太りというよりはやや太目だった。髪はショートで首筋くらいまで。眼鏡をかけた顔は、よほど飢えているか酒が入っていなければ、金を払ってまで抱きたいと思う男はいないだろうという顔だちだ。立ちんぼのくせにそういった雰囲気はなく、近所のおばさんといった雰囲気だった。私のように風俗関係の女を見つける勘だけはするどい人間でなければ、声をかけられなければ立ちんぼだと思う人は少ないだろう。年齢はよく分からなかった。おそらく50代か、ひょっとすると還暦を過ぎているかも、に見えた。
立ちんぼおばさんに案内され、職安通りのとあるレンタルルームに入った。一番近くでハイジアの脇、通り二本先にはラブホテル通りがあるが、おばさん曰くラブホテルよりもレンタルルームの方が安いから、ということだった。
部屋に入ると尿意を催したので、鞄をおいて部屋の外の共同トイレに行こうとドアを開けた時、おばさんに呼び止められた。
「鞄持って!」
どういう事かとおもって聞いてみると、「パンスケと遊ぶ時には荷物を手元から絶対離してはダメ。何かを盗まれるかも知れないから。」という事だった。そういう忠告をしてくれる人なら荷物を置いて行っても大丈夫じゃないか、と思ったが、素直に従う事にして鞄を持って部屋を出た。今ならそういった忠告をしてくれる人だからといって決して信頼して良い訳ではない事は分かっているが、当時はまだ若く、考えも甘いところがあった。
プレイ自体は淡々と進んだ。おばさんの生フェラに始まり、ゴムを被せて挿入。しばらく腰を動かして発射。
プレイ後におばさんが言った。
「お兄ちゃんカッコいいから、もうこんなパンスケなんかと遊んじゃだめだよ。遊ぶなら金なんか払わないで、逆に金を取って遊ぶんだよ。」
いやいや、いくら営業トークにしてもそれは言い過ぎ。まだ若い頃だったけど全然カッコよくないですから。それよりも気になったのはおばさんが何度か言った「パンスケ」という言葉である。若い頃ではあったがその手の言葉には詳しかった私には、それが「売春婦」を示す言葉であり、しかもかなり古い言葉であると知っていたからだ。
「パンスケ」というのは「パンパンガール」の事で、終戦後の進駐軍相手の売春婦を指す言葉だ。もしかしたらこのおばさんは往年のパンパンガールだったのだろうか。そうだとしたら、この頃は1990年代の半ばで、終戦後50年くらい。戦後おばさんが20代くらいだったとしたらおばさんの年齢は70歳を超えている事になる。還暦は超えているかも知れない、くらいには見えたが70代には見えなかった。とはいえ、女性の年齢は、昨今の美魔女を見ても分かるように外見だけで判断する事は難しいのも事実。まあパンパンガールではなかったにせよ、当時の50代、60代の人ならパンスケという言葉を知っていてもおかしくはない。
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